前回の投稿を見た友人から

何の写真だか解説が欲しいと要望?苦情?が

電話で・・・(笑)

ありましたので、ちょっと頑張ってみます。

 

カラー写真は今年7月現在の北渓井坑跡です。

 

RIMG0305

 

これは転落防止柵の隙間から中を撮影してみました。

水が溜まっていて、反射で柵と私が写り込んでいます。

立坑として使われなくなった後も井戸として使用されていました。

高島で唯一真水が湧いていたと、何かの資料で読んだ記憶があります。

 

 

この写真は「三十年史」三菱高島炭鉱労働組合から抜粋

 

001

 

建物が傾いているのか?

石碑が傾いているのか?

どちらとも傾いているのか?(笑)

小学校低学年の頃は、こんな感じだったような・・・

半世紀近く前の記憶ですので、かなりあやふやです。

同級生が1人隣接した建物に居ましたね。

奥の少し上がったあたりに、もう1人同級生が居た記憶があります。

 

 

こちらは「高島町の足跡」(高島町H16.12)より

 

高島町の足跡 014 (3) (2560x1745)

 

高島半世紀の記憶」(高島町H11.3)にも同じ写真が使われています。

元ネタはこちらだと思われます。クリック→高島炭鉱石炭船積場

超高精細画像を見るをクリックすると、驚くほど高解像度で見れます。

時代と被写体を鑑みれば、ガラス乾版写真でしょうか?

素晴らしいと感嘆してしまいます。

場所は北渓井坑からグラバー別邸に向かって100mほどの海岸

 

レールが2本敷かれ、右側のレールに積み込みに向かう炭車が5台

木の炭車に見えますがどうでしょう?

この大きさだと1トンくらいの石炭が入りそうです。

先頭の人はズボンを穿いているようですが、後は皆ふんどし姿ですね。

桟橋に隠れてよく見えませんが、先の1隻に積み込み中のようです。

手前の船は榮力丸と読めます。

積み込み待ちの船が3隻停泊しています。

戻ってくる炭車の下部に見えるのは横蓋のストッパーでしょうか?

右のレール間を良く見ると、先頭と3番目の炭車の先に開口部があります。

この開口部から石炭を落としているのでは?

と想像したのですが如何でしょうか?

桟橋に横づけしている船も、マストの位置から推測すると

2/5ほど桟橋下に潜り込んでいるように見えます。

明治5年撮影とありますが、非常にシステマチックな構造ですね。

 

桟橋の左に腰かけた着物姿の女性が2人

少女のような感じがします。

向かい合うように護岸の上には男児?が1人

その手前画面中央に袴姿でしゃがんだ男性の膝には幼児

画面左手前には洋装の男性2人

1人は日本人のようです。笑っている?

もう1人は文字が邪魔して判然としませんが

ひげをたくわえた西洋人に見えます。

右手は懐中時計かパイプを持っているような?

その後ろは小学校高学年と低学年くらいの男児でしょうか?

過酷な労働環境だったと伝えられますが

この写真は、とてものどかな感じを受けます。

 

撮影者の立ち位置ですが、飛島と伊王島の見え方から推察すると

本町の浜の少し先、今残る石積み堤防の付け根の上辺りでしょうか?

じっくり見ていると、静止している被写体と

そうでないものが混在しているのに気づきます。

炭車を押している5人・しゃがんでいる袴姿の男性・洋装の2人と

炭鉱従事者と思われる人物は静止していて

子供たちと船舶には、動いた故のブレがあります。

沖にある判別不能な影のようなものは移動中の船舶でしょう。

積み込み待ちの3隻、特に右側の船はロープが3重に見えます。

この写真撮影を演出する人物の存在を感じます。

 

長くなりました。続きは後日また。