前回の投稿を見た友人から
何の写真だか解説が欲しいと要望?苦情?が
電話で・・・(笑)
ありましたので、ちょっと頑張ってみます。
カラー写真は今年7月現在の北渓井坑跡です。
これは転落防止柵の隙間から中を撮影してみました。
水が溜まっていて、反射で柵と私が写り込んでいます。
立坑として使われなくなった後も井戸として使用されていました。
高島で唯一真水が湧いていたと、何かの資料で読んだ記憶があります。
この写真は「三十年史」三菱高島炭鉱労働組合から抜粋
建物が傾いているのか?
石碑が傾いているのか?
どちらとも傾いているのか?(笑)
小学校低学年の頃は、こんな感じだったような・・・
半世紀近く前の記憶ですので、かなりあやふやです。
同級生が1人隣接した建物に居ましたね。
奥の少し上がったあたりに、もう1人同級生が居た記憶があります。
こちらは「高島町の足跡」(高島町H16.12)より
「高島半世紀の記憶」(高島町H11.3)にも同じ写真が使われています。
元ネタはこちらだと思われます。クリック→高島炭鉱石炭船積場
超高精細画像を見るをクリックすると、驚くほど高解像度で見れます。
時代と被写体を鑑みれば、ガラス乾版写真でしょうか?
素晴らしいと感嘆してしまいます。
場所は北渓井坑からグラバー別邸に向かって100mほどの海岸
レールが2本敷かれ、右側のレールに積み込みに向かう炭車が5台
木の炭車に見えますがどうでしょう?
この大きさだと1トンくらいの石炭が入りそうです。
先頭の人はズボンを穿いているようですが、後は皆ふんどし姿ですね。
桟橋に隠れてよく見えませんが、先の1隻に積み込み中のようです。
手前の船は榮力丸と読めます。
積み込み待ちの船が3隻停泊しています。
戻ってくる炭車の下部に見えるのは横蓋のストッパーでしょうか?
右のレール間を良く見ると、先頭と3番目の炭車の先に開口部があります。
この開口部から石炭を落としているのでは?
と想像したのですが如何でしょうか?
桟橋に横づけしている船も、マストの位置から推測すると
2/5ほど桟橋下に潜り込んでいるように見えます。
明治5年撮影とありますが、非常にシステマチックな構造ですね。
桟橋の左に腰かけた着物姿の女性が2人
少女のような感じがします。
向かい合うように護岸の上には男児?が1人
その手前画面中央に袴姿でしゃがんだ男性の膝には幼児
画面左手前には洋装の男性2人
1人は日本人のようです。笑っている?
もう1人は文字が邪魔して判然としませんが
ひげをたくわえた西洋人に見えます。
右手は懐中時計かパイプを持っているような?
その後ろは小学校高学年と低学年くらいの男児でしょうか?
過酷な労働環境だったと伝えられますが
この写真は、とてものどかな感じを受けます。
撮影者の立ち位置ですが、飛島と伊王島の見え方から推察すると
本町の浜の少し先、今残る石積み堤防の付け根の上辺りでしょうか?
じっくり見ていると、静止している被写体と
そうでないものが混在しているのに気づきます。
炭車を押している5人・しゃがんでいる袴姿の男性・洋装の2人と
炭鉱従事者と思われる人物は静止していて
子供たちと船舶には、動いた故のブレがあります。
沖にある判別不能な影のようなものは移動中の船舶でしょう。
積み込み待ちの3隻、特に右側の船はロープが3重に見えます。
この写真撮影を演出する人物の存在を感じます。
長くなりました。続きは後日また。
解説ありがとうございます。
何となく雰囲気で見てましたが解説がつくと更にわかりやすいですね。
石炭船積場の写真は、やはり高島の歴史を感じます。
勿論過酷な勤務だったことは言うまでもありませんが、
私は、勤労者は誇りに思って仕事についていたのだと思います。
ちょっと視点を変え
比較したいのは、向こうに見える飛島の松の木です。
現在の飛島はしっかり松の木が成長して青々しているでしょう。
過日、長崎のこの年代の写真展に行ったときに見た松が枝あたりと同じ景色に見えます。
何だか嬉しくなります。高島の先代のかたは苦労の中にもハイテクを生かした方法で、
仕事をしていたのですね。
レールの切り替えなど興味深いです。
次の投稿楽しみにしています。
マロンさん、コメントありがとうございます。
仰る通り今の飛島は緑萌えていますね。
長い歴史の中で植物も、繁栄と衰退を繰り返してきたのでしょうね。
子供の頃よく泳いで渡ったものです。
あの頃より今の飛島は青々と茂っているような気がします。
長崎大学付属図書館の幕末・明治期日本古写真メタベース・データベースは
膨大な量の古写真が収蔵されています。
長崎だけでも現在826件ありますね。
写真展に足を運ばれる方でしたら充分に楽しまれるかと思います。
「撮影地域から探す」をクリックで辿ると見つけやすいです。