度々コメントを寄せて下さるマロンさんに返信しようと
職員クラブについて資料を漁っていたところ、
高島観光ナビに庭園写真と説明文がありました。
高島観光ナビ
http://www.kanko-takashima.com/heritage_prologue/takashima/
高島炭坑職員クラブ跡
明治34年(1901)5月、高島町仲山に建設された洋風建築。
現在は庭園と食料倉庫の跡を見ることができます。
先月現地に足を運んだ時には、雑草が生い茂り庭園も建物跡も
どこがなにやら???
かろうじて案内板だけ撮影してきました。
さて、この高島観光ナビにある北渓井坑跡の写真説明。
以前私が 北渓井坑 解説Ⅱ で妄想を膨らませ並べ立てた説と
全く違う結果になっています(笑)
近代的炭坑黎明期の姿を伝える
代表的な遺構 北渓井坑跡
現在、高島には、当時の竪坑の坑口がいくつか残っています。
その中の一つである北渓井坑跡は、2015年に「明治日本の産業革命遺産」
のひとつとして、世界文化遺産に登録されました。
北渓井坑跡は、
蒸気機関による捲揚機やポンプなどの近代的な炭鉱技術が導入された、
初期の様相を伝える代表的な遺跡で、竪坑跡が地上に露出しています。
その周囲の遺構については、よく分かっていませんでしたが、
平成16年(2004)にはじめて発掘調査が実施され、
遺構が残っていることが分かりました。
その後、平成21・22、24年度(2009・2010、2012)にも発掘調査が行われ、
とくに竪坑跡の北側を中心に遺構がよく残っており、
煙突跡と推定できるレンガ造りの遺構を確認しました。
2階建ての白い建物の左側が、心臓破りの坂の上り始めあたりですね。
となると、撮影者の立ち位置は太師堂の裏くらいしか思い浮かびません。
この写真解説だと、右の稜線は蛎瀬になります。
北渓井抗を見下ろすように撮影した場合、右の稜線がこれほど低く写るでしょうか?
私の説だと本町のアパート群のある丘陵ですから、地形的に合致すると思うのですが・・・
太師堂です。
今度行ってみます。
・・・行けるんだろうか?
・・・いや、そもそも立ち入っても良い場所なの???
北渓井抗跡のカラー写真が高島町政三十年の歩みにありました。
高島炭坑職員クラブの詳しい情報ありがとうございます。
あそこからの野母半島の眺めは最高に素晴らしかったと思います。
できるものなら、草伸び放題の高島除草作業して、
当時の建物の再建をお願いしたいものです。
高島散策のツアーなど実現すれば、高島の歴史に思いを馳せることができるでしょうね。
いつも、興味深い投稿ありがとうございます。
次も楽しみにしています。
マロンさん、コメントありがとうございます。
傾斜の下側の木も大きく育ち、今は海までほとんど望めません。
取り壊されて26年。
当時を知る人も、それなりの御歳を召しています。
出来ることなら元気なうちに、高島を訪れて欲しいものです。