南洋井坑は明治3年2月開削開始、明治4年3月42mで着炭

当初は北渓井坑と同様の水準のものであったようです。

 

グラバーが破産したのが明治3年8月17日

グラバー商会に変わりオランダ商会が鍋島藩との共同経営に参加

イギリス人鉱山技術者ポッター(F. Potter)を招き、本格的な近代化案を計画します。

ポッターは、まず在来炭坑が採炭していた八尺炭層ではなく

その下のバンドー炭層と十八尺炭層を掘ることを提案しています。

そのために運搬坑、排水坑、通風坑の3つの専用坑を平行して開削し

坑内に機械を設置、坑内の運搬、排水、通風を可能なかぎり機械化しようとするものであった。

42mで一丈八尺炭層(十八尺炭層)に着炭

 

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現在は立坑、運搬坑、排水坑跡は残されておらず

排気坑跡だけが案内板と共に残されています。

 

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積み方はイギリス積み。技術者がイギリス人ですから、当たり前か・・・

蒟蒻煉瓦ほど薄くはありませんが、現代の煉瓦よりは薄い気がします。

ちゃんと測って数字にしてみないといけませんね。

 

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この案内板、解かり辛いです。

明治9年に設けられた南洋井坑の排気坑跡と理解していいようです。

 

 

 

高島町の足跡掲載写真

南洋井坑(明治4年着炭、明治25年廃坑) 現在の「しまの宿五平太」裏 と紹介されています。

 

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櫓は北渓井坑より1まわり大きく感じます。

人物や炭車の大きさから推測して、櫓の高さは10m程でしょうか?

車輪が2個、ワイヤーも2本見えます。

昇降ケージが2機あったとういことでしょうか?

となると立坑規模だけでも北渓井坑の2倍

開削当初ではなく、機械化が進められた後年の写真だと想像します。