仲山坑=中山坑  百間崎坑=百万崎坑=百摩崎坑=百麻崎坑

文献によって表記はさまざまです。

 

尾浜坑と同様、開削時期は不明ですが

安政2年(1855年)鍋島藩の出炭量と坑夫数調査(推計)では

百摩崎坑8.640トン120人、中山坑2.148トン50人の記載があります。

 

同調査で百摩崎は地下百余間の海底、24段の水車を使い排水と記されています。

すでに江戸時代から高度な採炭技術を持っていたことがうかがえます。

 

最初期は露頭炭を炭層に沿っての「たぬき掘り」だった筈です。

炭層に沿って掘り進めると、斜坑になっていくのは道理。

 

当時最先端の知識を持った鉱山技術者達が集まってくるまでは

たぬき掘りの横穴が幾つも開けられていたと想像します。

蒸気機関が導入された仲山坑と百間崎坑は

安政年間の斜坑を再開発したものと考えるのが妥当ではないでしょうか。

 

 

仲山坑 明治22年開坑、明治38年6月19日廃坑

高島半世紀の記憶より

明治末期の高島

 

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仲山坑の煙突からは黒煙が立ち昇っています。

石炭積込船が数多く停泊しています。

護岸もきれいに出来上がっていますね。

護岸の一段高い所に、炭車軌道が施設されているように見えませんか?

もしかすると蛎瀬坑からの軌道では?と想像しています。

百間崎の向こうに飛島が見え、煙突がありますが可動していないようです。

とういことは明治32年~明治38年の撮影でしょう。

百間崎の手前の汽船は「夕顔丸」だと思うのですが、如何でしょう?

 

 

百間崎坑 明治22年開坑、明治32年9月14日廃坑

高島町の足跡より

百万崎坑(明治27年頃)

 

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積込桟橋と炭車軌道を中心に撮られていて、炭鉱の中心施設の状況は判りません。

積込桟橋に入っている炭車は、画面左上から来ているようですし

画面左端に煙突らしき物も見えます。

もしかすると、うっすら霞んでいる所が百間崎坑かもしれません。

複雑に入り組んだ軌道は、画面手前の尾浜坑から来ているのでは?

 

左手前のグランドはテニスコートのような気がします。

明治27年撮影だとすると、随分ハイカラな設備ですね。