北渓井坑跡から漁港を右に見ながら進むと、グラバー別邸(明治初年建設)跡があります。
この別邸と長崎南山手のグラバー邸の間に引いた電話が
日本初の私設電話といわれています。
別邸はその後、迎賓館として使用されたそうです。
数年前までは松林のなかの跡地に、風情あるあずまやがありました。
夏の日、床の石畳に寝転ぶとひんやりと気持ち良かったことを思い出します。
今は取り壊されていて、案内板がかつてここにあったことを知らせています。
取り壊されたことを知ったとき、とても残念で憤慨したことを覚えています。
実はこの時まで、あのあずまやがグラバー別邸跡の一部だと思い込んでいたのでした(笑)
そう信じてしまうくらい立派な造りだったんですよ。
案内板にある図面を見ると、主屋跡にあずまやが建てられていたことが解かりますね。
別邸跡は、島民の憩いの場、遊び場でしたね。
夏は海水浴の休憩に、あずまやでお弁当やスイカを食べたり、バーベキューしたり。
夕日を眺めたり、夜空を仰いだりとそれぞれの大切な人との思い出が・・・。
その形を変えた今でも島民の心の中に蘇る記憶。
グラバーさんの功績に感謝しつつ、今度訪れてみようと思います。
明治の島民は、この地で穏やかに過ごしていたのでしょうか。
グラバーさんは、高島を愛してくれたのでしょうね。
迎賓館に訪れたお客様も、この地から眺める夕日を美しいと思ってくれたでしょうね。
そう思うと、高島生まれでよかったと思います。
また次のブログ更新楽しみにしています。
マロンさん、コメントありがとうございます。
あの場所にはそれぞれの大切な思い出が詰まっていますね。
先日もエビスビールを持って、小島をこよなく愛した奴に声をかけてきました。
なんにも返ってきませんでしたが、きっと笑ってくれていたと思います。
バーベキューですか?
私がいた頃は、そんな垢抜けた言葉はなくって・・・
流木を集めて、採ってきた貝を素焼きで食べていました(笑)