昭和を生きた高島人に、五平太と問えば・・・
石炭を発見した人物という答え以上に
五平太もなか 美味しかった~ 懐かしい~ もう一度食べたい~ 等々(笑)
筑豊の銘菓が最も知られていますが、炭鉱町では砂糖が贅沢品だった時代から
砂糖をふんだんに使ったお菓子が、炭鉱労働者とその家族に好まれていました。
いきなり余談から入りましたが
今回のテーマは五平太です。
子供の頃から聞かされていたのは
五平太が焚火に黒い石を投げ込んだところ、その石が燃えて驚いた
これが日本最初の石炭発見であると。
成人後、各地の資料館に足を運んだり、書籍を手に取ったりしますと
あちらこちらで五平太の名を目にします。
高島町が発行した本には、元禄8年(1695年)深堀氏に仕えた平戸領民の五平太が石炭を発見し、
宝永7年(1710年)頃に事業化して伊万里、波佐見の製陶用燃料に、
また中国・四国地方の製塩用燃料として広く送り出した。とあります。
松島では釜浦漁民五平太が、内ノ浦沖の瓶島で暖を取るため焚火をしたところ
付近にあった黒い石に燃えついた。
新聞集成 明治編年史によると、肥前香焼島炭鉱
・・・寛政年間(1789~1801年)香焼五平太といふ者の初めて発見せしものにして・・・とある。
筑豊の炭鉱資料館・歴史資料館をめぐると、五平太の名が必ず出てきます。
五平太が時空を超えて、あちらこちらで石炭を発見しまくった???
まさかね!
石炭の採取・販売を生業にした者を、五平太と呼称したと考えるのが妥当のようです。
高島町政三十年の歩み 6・7ページ見開き
江戸時代の高島全景(佐賀県立図書館蔵)
高島半世紀の記憶には文政9年とありますから1826年ですね。190年前の高島です。
子供の時に食べた五平太もなか。
よその最中お土産に頂いたとき、なんか餡が違うって思って、
五平太最中以外は最中じゃない・・・・と。
あの黒ダイヤのように光り輝くつやつやのあんこ。
まさしく五平太さんの発見した石炭そのもの。
最中やのおじさんの餡練りを子供の時に眺めては、私も餡職人になりたいと思った遠いあの日。
職人さんに興味を持った最初のお方かも知れない。
ごめんなさい。
端島、高島、五平太からこだわりの餡の話になってしまいました。
大変失礼しました。
それにしても様々な文献を紐解くと本当に五平太さんが時空を超えたのかと
思ってしまう記述がこんなにあるとは知りませんでした。
またまた今回の更新も面白く興味深いものでした。
次も楽しみにしています。
ブログ読ませていただくと、まるでタイムスリップした気分になります。
ありがとうございます。
マロンさん、いつもコメントを寄せて下さりありがとうございます。
先ず五平太最中に反応してしまいましたね(笑)
五平太もなかの偏屈親父さんは、女の子には優しかったと聞きます。
私は薪が積んであった軒下を通るだけで、怒鳴られていた記憶しかありません。
あたりに漂っていた餡の甘い香りは、嗅覚記憶の奥底に揺るぐことなく存在しています。